著:佐藤祐二
つましい妻 妻を娶らば「ちびまる子」見目愛らしく情けあり…… 男の妻のルーツは、四国高知の、今や典型的な過疎漁村である。 南那須のひっそりと隠れるような農村をルーツにするその男と 三十七年前に、大東京の片隅で遭遇してしまった。大都会の群 集に戸惑い、自己の存在の小ささ脆弱さに打ちひしがれ、孤独 感におののいていた当時の男にとって、南国土佐の陽光のよう に無邪気にくるくる輝く笑顔は、余りにもまばゆくかつ衝撃的 ですらあった。 そして、男は、執念でものにした。 身のほどを知らず、何の根拠も無く、世界に羽ばたく未来話を 語る男のいい加減さに気づかなかったのが運のツキ、であった。 案の定、男はエリートコースとは程遠い、平々凡々なサラリー マン人生を歩み、楽しみは酒と競馬とパチンコという体たらく。 しかし妻は、風林火山、泰然自若。微動だにしなかった。黒潮 渦巻く太平洋眺め、南国土佐の陽光を全身に浴びつつ幼少時代 を過ごしたその気質の図太さは、只者ではなかった。 結婚指輪も、本心は、普通の花嫁のようにダイヤの煌きに憧れ ていたのだが、男の「高知といえば土佐珊瑚。君の門出にいちば んふさわしい」という言葉に素直に納得してしまう。新婚旅行も、 本心は、人並みに海外旅行を…と願っていたのだが、男の「人が 溢れている海外よりも、二人っきりになれる所にしよう」という 言葉にのせられ、結局行ったのは、廃屋ばかりの究極の過疎地 帯、壱岐・対馬の島はずれの町であった。 欲が無い現状満足型というべきか、高望みをしない安上がりの 女というべきか。もし別の男に身を委ねていたならば、ずっと リッチでゴージャスな人生を満喫できたかも知れないのに…と 男は少々後ろめたい気持ちになったりもしている。 女教師の面構え 大学卒業と同時に東京都に採用され、男の妻は今でも現役バリ バリの中学教師。今年で勤続三十三年目である。 勤労意欲退化が著しいサラリーマンの夫を横目に、挫折知らず 疲れ知らずで、実に楽しそうに日々駈けずり廻っている。好奇 心・向学心は人一倍なのだが、いわゆる権力志向・出世志向は 皆無で、がむしゃらに試験を受けて、教頭そして校長へと輝く 階段を昇るという発想は、最初から全く無かったようだ。 現在の勤務先は練馬区の中学校で、自身が卒業した母校である。 英語の教科と初々しい一年坊主のクラス担任を受け持ち、まさ に教育の現場で日常を過ごしている。 極道のお嬢が、落ちこぼれ高校生の担任教師として義理と人情 を発揮するテレビ番組「ごくせん」がヒット中だが、男は、自分 の妻はどんな教師なのだろうかと考えてみた。アカディミズム の点でも、日頃の行動形態から見ても、いわゆる「模範教師」と は言いがたい。毎朝の登校時間も遅刻ギリギリに校門に駆け込 む生徒達と一緒に「滑り込みセーフ!」。ここ数年兆候著しい健 忘症のせいか、授業中指名しようとした目の前にいる生徒の名 前が出てこないこともあるらしい。昨年教えたある男子生徒は、 可哀想なことに、一年間、全く別人の名前を呼び続けられた。 本人はその都度泣いて抗議をしたものの、次回再び別人の名で 呼ばれた。彼の一生のトラウマになったに違いない。男の妻は、 一向に気にしている様子は無いが。 そのような女教師ではあるが、ダメな生徒達には慕われ、給食 のおばさんや用務員のお兄さん達とはカラオケのマイクまで奪 い合ったりしている。文部科学省が望む教師像とは程遠い姿だ が、どうやら「先生のようにはなりたくないが、まっ、いいとこ もあるじゃん」と、「反面教師」として認知されているようだ。 そういえば大学時代、男の妻がイジメていた男子学生から「鉄面 皮」と嫌われ避けられていた。面目躍如、というところか。 しまらない生活 南国四国をルーツとする典型的B型で、男の妻の性格は、これ 以上拡げようがないほど開放的である。360度、障害物無し。 大人も子供も世の中押しなべて、引きこもりがち閉じこもりが ちの時代にあって、いつでも誰にでも「全オープンな女」がいる ということは貴重なことではあるが、日常の生活においては、 いろいろな悩みを男にもたらす事になる。 先ず、男の家の部屋ごとのドア、障子、カーテン、冷蔵庫の扉、 食器棚のガラス戸、なぜか5〜10pいつも開けっ放しになっ ている。週末日曜日の夜、恒例の房総の家から戻る男が最初に することは、家中の「5〜10p」を黙って閉め歩くことである。 遠い昔、男は妻に、きちんと閉めるように言ったことがあった。 しかし返って来た言葉は…「私、忙しいのよ。どうせまた開ける んだからいいじゃん」。忙しいことと、わずか5〜10pをきち んと閉めることと、どう連関性があるのだろうか。5〜10p 余分に引くために、何分・何時間かかるというのか。その論理 性は。男は議論することすら諦め、それ以来、黙々と閉めつづ ける習慣が始まった。 当然の事、タンスや机の引出しなども同様である。男が自分で しまうタンスの引出しは、いつもきちんと納まっているが、妻 の領域の引出しからはパンツ、ストッキング…何かしらが顔を 覗かせている。領域侵犯とは知りつつも、妻の外出中や妻が寝 静まった真夜中に、はみだした下着類をひとつひとつ引出しの 中に入れている夫の行為を、妻は知る由も無い。 また、化粧品、食料品の類もしかり。アチコチに散らばってい るキャップが一体どのビンのものなのか、男は必死に探し当て キャップを締め廻っている。 妻が開放的ということは、確かに風通しも良く、湿気もたまら ないが、夫もたまらない…と男は独り呟いている。 婦笑夫涙 男と妻との間の微妙なパワーバランス、行動形態に、変化の兆 しが見え始めたのは、ここ数年のことか、もっと以前からか…。 戦後のベビーブーム、いわゆる団塊の世代に産まれ育ち、戦前 の夫婦関係より多少は民主的なパートナーシップでスタートし たとはいえ、家庭内においては、リーダーシップというよりも 男の頑固さが主導権を握っていた。マイホーム等人生設計の話、 旅行の行き先、観る映画、テレビ番組、夕食を兼ねて家族で入 る居酒屋、一週間のスケジュールの組み立て…などなど、当然 の如くに男の意見が優先されていたものだ。 それが今や何ということか。娘二人は自立し家を出ているので あくまでも夫婦間のことではあるが、カレンダーへの予定記入 は、一週間どころか一年間のスケジュールまで妻の項目で埋め られる。悔しいことに男の方には、若い頃にはしばしばあった 海外出張の話など、とんとなし。妻と対抗したくても埋める予 定が見当たらないのが現実なのだ。故に、妻、遊友多彩・年中 多忙。夫、早時帰宅・週末独居…となる。 それでもさすがに男への憐憫の情か、ボランティア精神からか、 ポカッと予定の空いた日など、「○○へ行こう!」などと、突然 誘いを掛けたりする。ということで、先月何の前触れも心の準 備もなく、一緒に飛び込まされたのが西武新宿線本川越駅前の 「湯遊ランド」であった。そこは、男の五十五年の人生で垣間見 たことすらない未知の光景であり、桃源郷であり、アマゾネス の世界であった。スポットライトの中で艶やかに舞う大衆演劇 スターの胸懐に、屈強な「おばさん」達が複数の万札を次々と挟 み込む。流れるBGMは、堀内孝雄の「愛しき日々」。男の妻も アマゾネスと化し、ガハハハと笑い大拍手を続ける。♪愛しき 日々のはかなさは 消え残る夢 青春の影〜♪ 不覚にも男は あまりの感動に涙してしまった。そっと涙をぬぐったのを妻が 気づき、冷笑を投げかける。 「夫唱婦随」から「婦唱夫随」へと、主導権が完全に移行している 事実を、実感した瞬間だった。 のびやかな人生 「伸縮自在」という言葉があるが、人間の社会的立場、精神的構 造においても、伸びる時期、縮む時期がある…と、男は哲学的 悟りの境地を開くに至った。そして自らを当てはめた時、確実 に「縮みつつある自分」を痛感、諦念にも似た、はかなさ、むな しさ、無常感を酒の肴に夜毎陶酔している。 街中や車中での若い女性たちの勢いに「萎縮」し、時折示してく れる妻の気遣いに「恐縮」する男。競馬、パチンコで負ける度に 「緊縮財政」を強いられ、ラーメンはもっぱら「縮れ麺」。とにか く縮みっぱなしなのだ。 行きずりのバーにだってバンバン飛び込み、初対面の女にも破 廉恥に声を掛けまくったあの頃の、あの勇気凛々・厚顔無恥な 逞しい自分は、一体何処へ行ってしまったのか。 それに比して、男の妻の辞典には元より《縮む》(小さくなる・低くな る・短くなる)という言葉は無い。有るのは唯一《伸びる》《延ばす》 (長くなる・ふえる・上がる・広がる)という言葉だけ。 「明日があるさ」と、今日できることでも明日に延ばすし、「私も 若いわねぇ…」と鏡に呼びかけつつ、目尻のシワを必死に伸ばす。 身長は一五〇センチそこそこで止まってしまっているが、体重 は順調に伸びている気配だし、英語サークル、小・中・高・大 の同窓会幹事、ゴルフにジャズダンスにガーデニング…趣味も 交友関係も広がる一方。拡散の一途を辿っている。 そういえば、先日の出来事である。伸びきってしまっている妻 のパジャマのゴムヒモを新しいものと取り替えていると、「つい でにこれもお願い…」と、さらにもう一つのパジャマのズボンを 置いていった。男は一瞬ムッとしたが、ふと別の考えが浮かび 一つは普通のゴムの長さに、もう一つはかなり短くきつく入れ てやった。その日以来、朝の着替えの時など、伸び気味の妻の 腹部にクッキリとゴムヒモの跡がついていたりする。 それを見て男は、完全犯罪者の屈折した勝利感に包まれている。 |
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