園主の一言(なぜ農業を?) 2003.7.04加筆 |
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大地農園(おおち)・愚為庵(ぐいあん)のホームページにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。 つたないホームページですが、園主の私が自分で作り更新しているこのわずかな空間の中に、日頃感じていることや、どのようないきさつでそうなってきたかなどを、少しでも皆さんに感じていただけるような内容を盛り込めたら幸せです。 大地農園が誕生してから、まだそれほど時間は経っていません。 その成り立ちを、かいつまんでお話しします。 |
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『なぜ農業を?』 |
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平成と年号が変わる前の年に、私と家族(妻と二人の子供)は、二十五年間の東京での暮らしを切り上げ、私の生まれ故郷である御宿の里山に移り住んできました。 親の発病というのが直接のきっかけですが、当時バブルの真っ盛りで、浮かれきった都会の暮らしに、何か不安を感じていたのも確かです。 |
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その時の東京での仕事は、レコードの音源制作をプロデュースする事で、まさに若い人たちがあこがれる職種の一つでした。 | ||
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先行きのあてもないままに、まず帰郷ありきと、長いこと空き家になっていた先祖伝来の茅葺きの農家に居を移し、一年間その片付けをしながら考えた結論が農業でした。 子供の頃から花や動物が大好きで、それにかかわって生活が成り立つという発想が、心をときめかしたということも有りますが、大きな、のったりとした自然に囲まれているのに、今更、人混みとか人間関係への気配りなどにかかわりたくないというのも職業選択の条件でした。(今から思えば、ずいぶんとぜいたくな話でした。) まずの住みかと、他人任せにされていた、わずかばかりの農地がそこにあったのです。 |
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農業といってもその範囲は大変に広いものです。 地域にある農業は畜産がわずかばかりで、大半が米作農家です。 先祖は庄やとはいえ、戦後の農地解放政策でほとんどの田圃を手放していて、残った6反歩程度(6,000u)では、米作り農家としては立ちゆかず、狭い農地を有効に使っての農業というところから施設での花栽培と、自然環境を生かした椎茸栽培を選んだのです。 |
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『農園の歩み』 | ||
平成元年春→ 椎茸の原木一万二千本を、隣家の主(農業。屋号は、あらやしき。私の 田舎暮らしの先生)の手助けを得て、近くの山から伐採し植菌(椎茸菌を 植え付ける)する。 それ以降毎年、8,000本程度の植菌を続けている。 平成元年夏→ 1号のパイプハウス(150u)建設。 資材屋が、必要なパイプと部品を置いてそのまま帰ってしまったこと にとまどう。 当然建ててくれるものと思っていた。(都会の感覚から抜けだせていな かったのです。) 元年秋→ はじめての花の鉢揚げ(西洋桜草のメラコイデス) 近くの農業高校に飛び込み、花の栽培の何たるかの教えを請う。 以来その時の園芸科の先生にはお世話になっている。 (篠崎先生 ありがとうございました。) 2年夏→ 2号パイプハウス(300u)建設。以降毎年パイプハウス・ガラスハウス を建設する。 現在、パイプハウス7棟(1,000u)、ガラスハウス3棟(1,600u) 10年秋→ 圃場整備事業で生まれた畑(1300u)と借りた畑(1,700u)を使って、 鉢づくりの菊の露地栽培が加わる。 13年春→ 5反歩の田圃を借りて、無農薬の米作り(無謀なる挑戦)を始める。 14年春→ 合鴨農法による無農薬の米作りを始める。 14年秋→ 花栽培の経営にイチゴ栽培を取り入れる。 15年春→ 花栽培をイチゴ栽培に切り替えスタート。 |
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『愚為庵(ぐいあん)』 |
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平成7年→ 私の妻名義で飲食業の営業許可取得。 都会からシクラメンの買い物ツアーバスを走らせ、食事を提供したのが きっかけとなる。 8年→ 一般のお客さんを対象に、予約制にて食事のサービスを始める。 宣伝なしの、口コミだけの営業。 9年→ 椎茸を中心とした、食品加工の施設を建設し食品加工の製造許可を得る。 10年春→ テレビ東京の食い物番組にて紹介される。何度か再放送があったらしい。 以降予約制で少人数のサービスながらも、かなり遠方からもお越しにな り、最遠は秋田県からという客さんもあった。 14年春→ エルデコを始め、ジャラン、旅の手帳、JAFメイト、TEPCO、朝日新聞 等々、多くの紙媒体で取り上げられるようになる。 15年夏→ 文化放送、TBSラジオの電話取材があったとおもったら、次はTV取材の ラッシュ8月が日本TV3回、9月がフジTV、10月がTV朝日と、なんと NHKの生放送「ひるどき日本列島」までやって来ました。 |
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『これからどうする?』 |
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ものを作り出す喜びは喜びとして、現実の生活においては、作り出したものを、 それを必要とする人々に手渡し買っていただくという手順が生まれます。 市場に出荷することを前提として始まった私の農産物生産も、現実の流通のシステム を通過していく課程を見るにつけ、本当にこれでいいのかな?の思いが強くなりました。 流通が扱いやすい、売りやすい商品を生産品に要求する。 それは流通の方からすれば当然なのでしょうが、それだけでいいのでしょうか。 流通にかかわる、運送、市場、仲買、商店の都合が優先し、生産者と消費(買う人) の都合が二の次になってはいませんか。 買う人が本当にほしがっているものは、流通の都合で、少しゆがめられてはいませんか。 5月まで咲いているシクラメンは、お店に売っていますか?。 肉厚で巨大な、香りが豊かで味の濃い椎茸は、スーパーマーケットにありますか?。 作っている農家の顔が見えますか?。 市場に出荷していた我が農園の生産品は、年とともに、直接お客さんに手渡す直売 に変わっていきました。 作り方も、市場に合わせるかお客さんに合わせるかではなく、お客さんのほしがる ものに、自信を持って変えていきました。 農場に直接来ていただくことを前提にして、少しずつ施設を整えてきましたが、今、 インターネットの大きなうねりが、確実に生活の中に組み込まれ始めて来ているのを 見て、我が農園の情報を直接皆さんにお届けしようと、遅ればせながらキーボードを たたき始めました。 皆さんとの情報交換が出来る事を期待しながら、心を込めてページを作ります。 |
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園主敬白 |
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